§−1  ─  いつもの中路氏と北九州一泊二日の旅 ─ 2009.3.18〜19
水城跡
水城跡
太宰府跡
太宰府天満宮
太宰府天満宮
太宰府跡

 

3月18日(晴れ)、中路氏と一泊で北九州福岡博多中心に短い旅をしてきた。

行き先々で桜がちらほら咲き始めていた。

駅前でレンタカーを借り水城跡、太宰府跡、太宰府天満宮、吉野ヶ里遺跡、柳川まで足を伸ばした。

ウオーターフロントの博多の町は古いものと新しいものが上手く調和し居心地の良い魅力的な街であった。

それに地元の女性は皆さんあか抜けし、しかも親切であった。

夜は中州の川岸一帯の屋台村でオッサン二人、おでんとラーメンをすすった。


Photo 水城跡
外敵から太宰府を守る前哨線。その昔(644年)、京都のお土居のような高い土塁と城門があった(中大兄皇子が築いたと言われる)。


Photo 吉野ヶ里遺跡
紀元前3世紀から紀元後3世紀の間に栄えた弥生時代の大規模環濠集落。二重の濠の集落防御施設がある。後世城の原型をみているよう。特に防御柵の裏側に深い掘りがあり私の興味をそそった。そばの墳丘墓から戦闘で傷ついた人骨が多数残っている。どうしてもウンチクが述べたくなる。

Photo 水郷柳川
余り時間が無く、北原白秋生家跡のみ訪ねる。小さな女の子が親切に連れて行ってくれた。本当に親切。感謝感謝!


吉野ヶ里遺跡
吉野ヶ里遺跡
水郷柳川
水郷柳川
中州の屋台村
中州の屋台村
 
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福岡城(福岡連隊碑)
鴻臚(こうろかん)館発掘跡
福岡県立修猷館高校

3月19日(晴れ) 今日は博多市内をバスと電車でゆっくり観光する。
思いがけなく私は歴史のるつぼの中に放りこまれた。

相棒は博多には何度も来ているらしく(昔は相撲の九州場所観戦のため)私が行きたい希望の場所を示せば、彼が適当な交通機関を使って連れて行ってくれる。

しかし、行き先を明確にしないと、彼の術中にはまり、野球選手の出身校とかスポーツ関連施設、政治家・代議士(過去から現在まで)の生家、その関連施設(出身学校等)へと連れて行かれ、挙げ句長い地獄のウンチクを聞かなくてはならなぬ羽目になる。

そこでこちらから観たいところを先に指定しておいた。福岡城、 鴻ろう館、福岡県立修猷館高校、元寇防塁跡(西南学院大学構内)と博多湾に残る防塁跡を見て回った。

特に博多湾の防塁跡は圧巻だ。

鎌倉時代蒙古の軍船が博多湾を雲霞のごとく埋め尽くしたその光景が沸々と湧いてきた。

当時の鎧兜の鎌倉武士が突然憑依し何とも言えない興奮を覚えた。


Photo 鴻臚(こうろかん)館発掘跡
鴻臚館(こうろかん)は8世紀の初め、九州と中国との交渉の窓口、西辺の防備の要としておかれた。

Photo 福岡県立修猷館高校
第32代内閣総理大臣広田弘毅出身の学校。九州の名門高校。広田弘毅は今大戦の責めを受け東京裁判でA級戦犯となる。1948年絞首刑死。

Photo  元寇防塁跡(西南学院大学構内)
鎌倉時代2度にわたり蒙古の襲来を受ける。一回目文永の役(1274年)、2回目弘安の役(1281年)。文永の役の教訓から鎌倉幕府は博多湾に 長大な防塁を築き水際で蒙古軍を阻止した(高さ3から4メーターあった)。

Photo 陸軍航空特攻振武寮跡
現在九州電力体育館の裏がわにあった。陸軍航空特攻帰還者に対する再教育の施設。

元寇防塁跡(西南学院大学構内)
博多湾 元寇防塁跡
陸軍航空特攻振武寮跡
陸軍航空特攻振武寮跡