3月19日(晴れ) 今日は博多市内をバスと電車でゆっくり観光する。
思いがけなく私は歴史のるつぼの中に放りこまれた。
相棒は博多には何度も来ているらしく(昔は相撲の九州場所観戦のため)私が行きたい希望の場所を示せば、彼が適当な交通機関を使って連れて行ってくれる。
しかし、行き先を明確にしないと、彼の術中にはまり、野球選手の出身校とかスポーツ関連施設、政治家・代議士(過去から現在まで)の生家、その関連施設(出身学校等)へと連れて行かれ、挙げ句長い地獄のウンチクを聞かなくてはならなぬ羽目になる。
そこでこちらから観たいところを先に指定しておいた。福岡城、 鴻ろう館、福岡県立修猷館高校、元寇防塁跡(西南学院大学構内)と博多湾に残る防塁跡を見て回った。
特に博多湾の防塁跡は圧巻だ。
鎌倉時代蒙古の軍船が博多湾を雲霞のごとく埋め尽くしたその光景が沸々と湧いてきた。
当時の鎧兜の鎌倉武士が突然憑依し何とも言えない興奮を覚えた。
Photo 鴻臚(こうろかん)館発掘跡
鴻臚館(こうろかん)は8世紀の初め、九州と中国との交渉の窓口、西辺の防備の要としておかれた。
Photo 福岡県立修猷館高校
第32代内閣総理大臣広田弘毅出身の学校。九州の名門高校。広田弘毅は今大戦の責めを受け東京裁判でA級戦犯となる。1948年絞首刑死。
Photo 元寇防塁跡(西南学院大学構内)
鎌倉時代2度にわたり蒙古の襲来を受ける。一回目文永の役(1274年)、2回目弘安の役(1281年)。文永の役の教訓から鎌倉幕府は博多湾に 長大な防塁を築き水際で蒙古軍を阻止した(高さ3から4メーターあった)。
Photo 陸軍航空特攻振武寮跡
現在九州電力体育館の裏がわにあった。陸軍航空特攻帰還者に対する再教育の施設。 |